(無題) 2009/02/23(月) 23:08:27 |
| 金森重樹さんといえば東大法学部出てなぜか行政書士で大成功した人だとか、「通販大家さん」とかで名前を知っていたが、こんど彩図社から『お金の味』と題する半生記を出版して、一気に読んでしまった。なんとこの人は、20代で先物に引っかかって、1億の借金を背負ったのだ。ただ凡百の人間と違うのは、もはや通常の方法では金など返せないのだから、事業家になってやろうと意気込み、実際に成功して見せたところだ。それにしてもこの人にお金を貸すkさんって、上場企業創業者だと言うし、誰のことか気になる。まあ、フリーターでありながらそれだけの金を借りられたと言うことは、金森氏もその当時から光るものはあったのだろうなとは思う。 もっとも、金森さんの口車に乗ってマンションの一棟買いした人の中には、このたびの金融恐慌でかなり苦しくなってるので、其れへの弁明的な意味もあるのかしらと思う。金森氏は生き残るかもしれんが、お弟子さんの方はバタバタと逝ってしまうかも・・・ |
(無題) 2009/02/12(木) 22:04:49 |
| オバマ氏の70兆円景気対策がようやく可決の見通しであるが、この中にはかなり減税政策が含まれており、純粋な支出増加はもう少し少ないみこみである。やはりクルーグマンのいうように、すべてを財政拡張に向けた方が効果的だと思う。しかし日本の経験からすると、これだけ財政政策をやっても下支えにはなるだろうが、自立的回復につながるかは予断を許さない。もっとも金融政策と減税オンリーではこの場合最悪の選択肢である。 そもそも金融政策は、景気の引き締めには役に立つが、拡大にはほとんど役立たないのではないかという印象さえ持っている。なぜなら、不況期には流動性選好が強まるからだ。一方歳出の増減は、景気の引き締めには役に立たないが、下支えには割と役に立つ。しかし大方のアメリカ生まれの主流派経済学者にとっては、これは「不都合な真実」のようである。 |
(無題) 2009/02/11(水) 23:22:17 |
| 日本の皇室を扶余族由来とする騎馬民族征服王朝説は、一般には信奉者も多いようであるが、プロの研究者の間ではすこぶる冷淡に扱われている。しかしこの説が現れた頃は、結構学界の研究者でも支持者がいたのは、意外に知られていない。現在学界でこの説への支持を明言する人がいないのは、この学説が説得力を欠くと言うよりは、一つには、有力な文字資料が出てこないかぎり立証する見込みがないことと、もう一つは、あまりにも謎解き好きなアマチュアに人気があるので、こんな説を支持してはプロとして恥ずかしいという意識があるためだろう。ちなみに私自身は、この説は「充分ありうる」とは思っている。 もっとも、江上波夫の見立てを全面支持しているわけではない。一番違和感があるのは「臣系氏族」をいわゆる天孫族とは別の土着の氏族であるとみている点だ。しかし私見によれば、とくに武内宿禰の子孫と称する臣系氏族こそは、倭の五王を出した一群の集団ではないかとみるべき証拠が多数ある。日本書紀には、蘇我氏のみならず平群真鳥が日本の王になろうとしたという記述もあるし、紀氏にいたっては、三韓に君臨して「神聖」と号する王になろうとしたという。まさに「騎馬民族的」発想ではないか?江上氏がこれにふれないのは、自説の結構に合わないためだろう。倭王済と推定される允恭天皇が、武内宿禰の子という若子宿禰と同一である可能性も指摘されている。 武内宿禰系氏族が根拠地とした大和葛城には、「高天原」の伝承地たる神社があるのも意味深である。もちろん江戸時代の国学者あたりがこじつけたものではなく、延喜式にも記載してある古きゆかしい伝承地である。祭神はタカミムスビであるが、これは天照大神以前の本来の皇祖神であろうと考えられており、しかも本質的には朝鮮の王の祖先である天・日月と言ったものと同じ思想の産物である。天孫降臨神話は任那の首露王の降臨神話と同一であるし、神武東征もまた高句麗の朱蒙の建国神話と細部において奇妙な一致がある。ちなみに平安時代初期に編まれたという大同類聚方には武内宿禰=王仁(百済の有名な渡来人である)という驚くべき説が記載されている。もっとも大同類聚方のいまある流布本は江戸時代の偽書だと言うから、これについては価値判断を保留せねばならないが。 |
(無題) 2009/02/10(火) 23:12:10 |
| 週刊新潮が赤報隊事件の犯人の告白なるものを連載しているが、当事者である朝日新聞は最初から事実と異なると言っているし、週刊文春によればそもそも島村という犯人と名乗る男が最初に朝日に「告白」した内容と根本的に大きな違いがあるのだから(そもそも朝日対しては阪神支局小尻記者を計画的に狙ったのだと言い、今回の告白では阪神支局を狙ったのは成り行きにすぎないというのだから何をかいわんや)新潮は連載をどう決着をつけるのか興味がある。たぶん次週号はほとんど目立たないような広告にして、本人身の危険を感じるとかで連載打ち切りじゃないか。 |
(無題) 2009/02/09(月) 22:21:23 |
| 『東洋経済』の2/14号で慶応の小幡績さんが、オバマの財政拡張で経済危機は「深まる」と論じていた。さすがハーバード大学PhDだけあって、アメリカ流エコノミストの面目躍如である。今アメリカの経済学界では、財政拡大が景気回復には無効有害であると言う多数派と、財政拡張やるべしと言うクルーグマンら少数派との間で論争が繰り広げられている。1929年の大恐慌にしても、日本における常識とは違いアメリカではニューディール政策は有害無益であったとする考え方のほうが、なまじ経済学を勉強した人たちの間では多数派なのだ。かくも徹底的に公的経済の拡大を嫌うのは、いわばアメリカの精神とも言える。さて有害と言い切る小幡氏の説によれば財政赤字拡大が米国債とドルの暴落をもたらしてパニックに陥るというのだが・・・ |
(無題) 2009/02/06(金) 22:28:17 |
| このような不景気の中にあって、景気対策とはいかにあるべきか。思うに、景気対策とは第一に失業対策であるべきだろうと思う。政府は、不効率な経済システムを救済する必要はないが、人間は救済しなければならないだろうと思う。衰退する会社や産業を救済する必要は必ずしも無いが、そこからはき出された人には職を与えるべきだし、破産した人は免責しなくてはならない。経済は効率的であるべきであるが、遊休資源(ことに人的資源)がある場合は其れを吸収するよう財政拡大するのは正当化されると思う。政治も経済も人間のためにあるからである。 赤字財政が将来の財政破綻やインフレ懸念につき心配するむきもあろうが、失業を吸収するレベルで輪転機をまわしても、さして強度のインフレは起きないのではないか?なぜなら不景気時には財は余っているわけだし、また日銀の保持する国債は将来償還を通じてむしろマネー削減につながるからである。インフレになるかどうかは、日銀の資産膨張とは直接の関係はなく、むしろ国家の徴税能力に依存するのではなかろうか。発展途上国はインフレの傾向が強いが、これはこれらの国々が一般に徴税能力が十分でなく、シニョレッジを財源とする国家であるからだろう。 |
(無題) 2009/02/05(木) 23:28:27 |
| インフレの経済効果を考える。インフレとは通貨の価値保存機能を低下させることであるから、インフレ時には、他の保存の利く商品に価値保存機能を持たせる役目も負わせるようになるであろう。すなわち買いだめである。極限時には一部の商品が本当に通貨の役割を果たすようになるであろう。従ってインフレは確かにモノに対する需要を喚起する働きを持つ。しかしインフレが収束すれば、再び貨幣の価値保存機能が回復するから、買いだめされたり、通貨の役割を担った商品は、再び商品としての本来の消費にむかうであろう。となるとその時点では、買いだめした分は新しい需要が減ることになる。このように、インフレによる需要の増加は、本質的には将来の需要の「先食い」のようなものと思われる。 |
(無題) 2009/02/04(水) 23:21:48 |
| ドル紙幣は過半数がアメリカ国外で流通していると言われるが、そのドル紙幣の発券高は日本円にして80兆円ほどで、日銀券発券高とそう変わりはない。と言うことは、経済の規模に比べ日銀券の流通量はずいぶん多いと言うことだ。世界的に見ても、日銀は世界の中央銀行に比べGDPとの比較において相対的規模は大きいようである。特に90年代後半から小泉政権時代まで、低金利政策の中で膨張をとげた。いまFRBはここ数ヶ月でCP買い上げ貸し出し増加で資産規模を2倍にふくらましている。それでやっと日銀の2倍弱の規模になったかというところである。 |
(無題) 2009/02/03(火) 22:44:30 |
| 自民党内では政府紙幣導入が議論となっている。実現するとは思えないが、そもそも今の日銀の資産構成を見るとおおよそ6割が国債であるから、今の日銀券自体が60%ほどは政府紙幣の性格を持っているとも言えなくもない。要するに国債を買い付けてマネーを放出すれば新規に政府紙幣を発行したこととそんなに違いはないのだろう。 数日前国債はいつ誰の負担になるのかを考えたが、日銀が持つ国債は償還時にマネーが日銀に戻ってくるのであるから、それはマネーの償却を意味する。従って、日銀引き受け国債は、実際に償還財源が税でまかなわれたとしても、実は国民から財を吸い上げる働きを持たず、ただマネーの削減となる。もっとも配当は別であるが、これは諸費用、出資証券への配当に当てられた残りはすべて国庫納付金となる。 政府紙幣の場合はどうか。まさかいつまでも政府紙幣を流通させるわけにもいかぬし、すべてを硬貨にすることもできそうにないから、いずれは日銀券に交換せねばならぬであろうが、その財源は増税となる。ん? となると単なるバラマキこそが将来の負担となる? |
(無題) 2009/02/02(月) 22:07:16 |
| 官需の拡大が民需の縮小を招いてしまうことをクラウディングアウトという。かつてケインズが批判した「財政拡張は同額の民間支出の縮小を招くから効果がない」という「大蔵省見解」にその原型がある。「売れ残り」というものがない新古典派経済学の世界では、これが正しい。MF理論も、一見ケインズ理論の拡張のような形をとりながら、事実上新古典派的世界を仮定しているように思える。アメリカの経済学では、この効果を非常に強調して、財政拡張に懐疑的な論を立てる者が多い。しかしこれは生産要素がめいいっぱい使われているときは財政政策は効果がないと言うだけであって、そもそもそんな好景気にことさら財政拡張が必要とされることはないのだから、これは為にする議論に見える。 ところで一方、そのような立場の者であっても、効果のある「財政政策」があるというのだからまぎらわしい。それは、主として減税のことである。高橋洋一氏のいう財政政策も「減税」であり、十分に金融緩和をしたときには効果があるという。しかしおなじ「財政政策」という言葉を使っても、財政拡張と減税では本質的に違う。減税とは要するに民にわたるマネーを増やすことであり、むしろ金融政策とやっていることは一緒である。つまりこの意味で「財政政策」の言葉を使うことは誤解を招くものであり、より正しくは「金融政策一本槍」と同義である。すでにクルーグマンは前言を事実上翻しこの立場から離れた。ただマンキューをはじめアメリカの学者は未だこの立場にいる人が多いようである。そして不況においては往々にして流動性選好が極度に高まることを考えれば、この政策は財政拡張ほどの効果を持たないように思われる。 どうもアメリカの主流派経済学においては、前記の為にする議論による財政拡張「無効」という信念がすり込まれている上に、言葉のレトリックさえ使っているようであり、割り引いて見なければいけない面があるように感じられる。 |
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