姉貴募集 さんの日記

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笑える{が笑っちゃいけないんだろうが}並列  2015/07/05(日) 08:55:22
 アクト オブ キリング たぶん最後//  2015/06/28(日) 15:24:12に書いたように{〜に続く文を書いていたのだが むしろそれがどうでもよくなった}JKビジネスとアクト オブ キリングを並列すると JKビジネスなんてほんとびっくりするくらいどうでもいい。

「それって誰得?」って言葉があるけど あんなもん誰も損してないし得も大してしていないだろうから 強いて言えば「あの業界の連中は税金払ってないだろ」ってことに対する措置としか思えない。んならそっちの線で隠密にことをすすめりゃいいんだろうし。下の日記って 長い割にどうでいいことばかりだが他愛ない人間関係に無粋に法が介入するのは人権の問題は感じるね。こんなもん 好きにさせておいてやれや。

「相手が14歳だったりしたら お前には地獄でもオレには天国だぜ!」とかいって どうせコトが済んだら〜{ちょい悍ましすぎて書きたくない}当事者{しかも英雄}が実際を話すのが「アクト オブ キリング」

「億秒で女の子相手にまともに話が出来ない」人のために つかのまの彼女ごっこをしてあげるのであろうが「JKビジネス」

もう並列にも距離がありすぎる。多くの人が強く弾劾している風潮も感じられないし業者側客側 多方は穏便としたものであろうが 立案立法されてしまうというのは理由が分からんな。

とある異文化異種 法の介入  2015/07/03(金) 23:39:19
 ここから書く事は ちょっと前に書いたことで{とある舞台俳優が末期ガンで座りながら客席に降板を告げる報道がなされた時期}一昨日くらいから いわゆるJKビジネスに法が介入することが決定したため 書いてあった草稿に若干の補足を付けて掲載することにします。相当にちょっと前の思いつきや心情の波の変化があったとしても出来るだけ改変しないで載せます。

学校帰りにいつものラーメン屋{なんでここかってと特に旨いわけじゃないんだが湘南爆走族が全巻置いてあるという理由で通っている}に置いてあるテレビで奇っ怪な映像が流された。

ぼくとしては「なんじゃ?これ?」だ。テーマは「女子高校生ビジネス」。
これが奇っ怪に思ったのは「問題定義がなされ なぜこういうことが起こってしまったのか、また どうすれば解消 もしくは解消に向かうことが出来るのか?」という視点ではなく 単に「新手のビジネスの紹介」をしているだけだからだ。まったく新手のビジネスを紹介しているだけだった。

ぼくは本当に希にしかテレビをみないのだけど よくテレビを見るに人はきっとよく目につくはず。ぼくは交流関係が薄く広く、下は12歳から上は90過ぎまで なんだがそこに大きな違いがあるとは思わんけどね。

テレビのコメンテーターがいう。「女子高生と買い物をしたり プロレス技を掛けられたりビンタされたりして喜ぶ男がいて かなり表面化している」それを渋い顔して語る。「援助交際の温床になる場合もある」とか言ってる。客は「金ですむからいい。情が絡むとややこしいから」と割とエリートサラリーマン風の設定にしてある。

あくまでぼくの知る限りであるが プロの男{ホスト}がそうであるように、彼女らの貞操観念というのは同世代の他の子よりはるかに強い。基本的に肉体関係を持たないのだ。理由は「持ったらオワリ」だからだ。まあそもそもほぼ全日を監視体制に置かれている彼女らが好き勝手できるはずもないので個性にもよらない。職業的な事情だ。

ぼくの友人には芸能人志望者もいるので この手で働いている方も知っている。強く訂正させてもらおう。ただしぼくが知っているのは割と大所でアンダーグランドなビジネスは知らない。まず「彼女らは女子高生ではない。」経済的な事情から高校へは進学していない。またテレビではいかにも幼い女の子としてえらく背が低い女の子が描かれているが 彼女らはモデルでプロダクションに登録している方も多いので 身長は平均よりはるかに高く顔も大人びている。男性より背が高いのはザラである。

「女子高生ではない」のだが またさらに「一体どこから出勤しているのか?」テレビでみているとあたかも普通に学校に通って自宅からバイト感覚なんだがこれも全然違う。「寮」みたいなところに隔離されている。業種は「リフレ」と呼ばれるらしい。リフレッシュの略だろう。勤務時間は夜9時から朝6時の設定。設定である。これには唸ってしまう。ホストクラブの開店時間を完全に避けているのだ。ただしこの時間に彼女らは働くわけではない。何時という決まりはない。それ以外の時間は「自宅待機」である。

ついている客はゼロ{フリーの客相手}から4.5人。どう思うか分かんないけど4人の客が週に一二度通えば一週間のスケジュールは埋まってしまう。彼らが「あの子呼べや」と言われたら経営者は呼ばなければならないので合鍵で彼女らが寝ていようが呼び出す。

「女子高校生ビジネス」と言われているところで働く彼女らの立ち位置は微妙である。ある視点では一線を越えてしまって特にアジア諸国では神格化すらされているAV女優とも全然違う。{あくまで村西とおる説だが}

彼女らは異性からは徹底的に口で罵倒される。最初なんで罵倒されるのか、理由が分からなかった。本当の理由は「オレたちは五六千円稼ぐのに死ぬ思いしてるんだ。お前はなんだ。変態男にビンタしては五千円、一緒にゲームやっては一万円、さらにチップか。クソビッチめ。死ねや!」くらいは普通に言われている。報道と違って顧客は典型的なデブおたが大半らしい。

同性もある程度は同じ思いだが 一般的な風俗が けして容姿が優れているから売れるというわけでもないのに対して 彼女らはそうではない。が同じことをしている人たちが皆そういう感じなので特段自分の容姿がどうのという自意識はない。こんなことあまり言いたくないが容姿に非常な劣等感を持っている女性が素敵な性格なことは稀な気がする。ある意味では男性より酷く思われているのかもしれない。

客も業者も彼女らの味方ではないので彼女らに{あくまで上部だけだが}心情的に献身を装うのは同世代でしかも絶対に彼女らの客になりえない貧困層の男性だ。で彼女らは彼らを利用するようになり精神的に腐って耐え難い存在になっていく。{ここでもぼくの考えの「異文化異種交流は無理が当てはまる}

彼女らの心の拠り所は母親のみである。年がら年中部屋にひとりぼっちである。これもあまり言いたくないことだが彼女らが精神的に依存しきっている母親が娘に対して思っていることは「単なる金ズル」である。彼女らは日払いプラス出来高で給与が支払われる。その金も母親がせっせとパチスロかなんかで使い切る。毎日わずかずつ密かに貯めていた金も「滞納がどうの」でまるごと母親にとられる。

賭け事や男に狂ったオバハンどれほど酷いか、散々金貸しで苦しんだぼくはよく知っている。考えつく限りあらんかぎりの嘘と言いわけをつくのだ。少々オツムの弱そうな子を探しては連帯保証させようとするオバハンまでいた。つかその程度は驚くに値しないくらい酷い。漫画「ウシジマくん」よりもっと酷い。

彼女らが救われるとすれば母親と縁を切ることだろうが 親と仲が悪い女性がいい男性とくっつくことはまずないのが現実だ。まあ「オレに関係ねえことだし」と切り捨てることも出来るが気になることはある。ギャンブルに狂ったオバハンは子供も同類になることが今まで知る限り普通だったしそういうものだと思っていたからだ。

が彼女らは経済的自立のみならず親に仕送りすらしている上、同世代がする大半の娯楽と縁が無いことから母娘といえど人種が違う。ぼくから言わせれば この手のビジネスを根絶させたいなら方法は一つである。テレビやラジオではまず報道されないだろうが。「パチンコパチスロ店を法で禁止して無くせばよい」オバハンに限ったことではなく 朝9時前からこの手の店に並ぶ人種にまともなのはほぼ居ないのだ。{店舗経営者も店員もこの事実を分かってる。}

「刑事事件にすることが出来るように法改正する」のは 結構だが客、店員、業者、だれをどうやって罰するのだ?個人的にはこの三者に罪は無いと思う。
「女子高生みたいな女の子を営利目的に利用する」のが罪であるなら芸能界はプロダクションもタレントもファンも全員犯罪者になっちまう。

強いて罪があるとすれば銭ゲバと化して子供を売る親にあるんだろうが、それを犯罪にしてしまったら この業種に限ったことではなくなってしまう。中学出てそこそこで両親や親戚までも養っている子なんて沢山いる。

JKビジネスと言われるものは最近出来たように見えるが 似たようなもんは人類史上絶え間なくあった。ビジネスモデルに若干の変化があったかも程度だ。
とりあえず ぼく的には「異文化異種交流は非常に難しく 実質無理」と思っているのでいずれの当事者にもならないだろうが、ここに法が介入するとなれば誰にいかなる手段を使うつもりなのか、結果何をもたらすのか、傍観してみることにしよう。

アクト オブ キリング たぶん最後//  2015/06/28(日) 15:24:12
 下の日記でこの映画について書くのは終わりにするつもりで 最後の
「朝開店前から寝巻き同然でパチスロ店に並んでいるオバハンの家庭が正常な機能をしているわけない。その尻拭いをするのは誰なんだ?」に続く文を書いていたのだが むしろそれがどうでもよくなった。{個人的な尺度で考えればプレマンの贖罪は地道な地域貢献しかないとも思うのだが それはあくまで個人的な考えだからね}

残念ながら異文化異種は理解しあうことは出来ないというのが ぼくの今の考え。諦念でもある。個人的に諦念であったとしても「事実こうです」と言うことは出来るけど そこからさきは知らんという立ち位置しか出来ない。

映画ってのはまず表面的な映像をきっちり汲み取ることが重要と とある評論家が言っていたのだが「如何なる理由で作られたのか」というのも重要に思う。
検索をかけて調べるというのはあまりしたくないのだけど ここまできちゃったんならもういいかと調べる。アメリカ資本じゃないのだ。

監督がアメリカ人というのは知っていたけど ぼくは完全に「アメリカ人によるアメリカ資本の映画」と思い込んでいたし出演するプレマンも自分のしたこととベトナム戦争を重ねてそう思っていたようだ。

「イギリスから来た男だ」というのをテレンス スタンプ主演のカルト映画「イギリスから来た男」からとった冗談と思っていた。しかしアメリカ資本の映画だったら企画立案すらないこの映画に出資する人がいるわけない。ここはかなり重要で「この映画は企画立案からして無い」。

イギリス ノルウェー デンマークだったかな?三国の人権保護団体出資によるあくまで被害者の人権を訴える映画の制作にオッペンハイマー監督は雇われて作った格好になっている。オッペンハイマー監督が単に雇われただけなのか、大義を感じて自らが名乗り出たのか 一応ははっきりさせておかないと監督自ら身の危険がある気もする。

よくよくちゃんと見れば実質監督は殆どなにもしないことに徹して ロケバスにスタッフを詰め込んだだけだ。んだが ここが異文化異種交流の難しさで ぼくがアンワルさんではなく アンワルさんの腰巾着だったら「オヤジを嵌めやがったな!この野郎!」ってことになりかねない気もする。

ここのところずっと体調が悪い。この映画はぼくには余りに荷が重すぎた。今までは人の目なんかまるで気にしなくって好き放題してきたのに。残念ながら ぼくは映画を見る前の自分のほうが好きだな。

アクト オブ キリング たぶん最後  2015/06/22(月) 20:04:00
 下の日記に書いた「一番太い根っこは本物のサイコセラピーだったのだ」には思い当たることはある。評論家によっては「真の反省の姿」という。
で反省したから、反省を即したからってだからなんだというのだ。

アメリカにはサイコセラピーでも超マスタークラス、費用も高ければそもそも入ることすら容易ではないセミナーが存在する。期間は二週間ほどだったと思う。トイレに行く回数も制限があるし食事も制限がある。

ぼくが「あれ?」っと思ったのはアンワルさんが「大手の大作みたいなものでなくていいんだ。ただ一歩一歩地道に我々の史実を残そう」と言ったとき
オッペンハイマー監督は これは最高の手法が使えると考えたのではないだろうか。

極めつけなのは アンワルさん自身が自分がしてきたやりかたで殺される役を演じた時だ。

「もういい。二度はできない。」アンワルさんは憔悴しきって言う。本当に憔悴しきる。先ほどのセミナーで受講者に与えられる問題は「過去の経験、極度の緊張など特異な経験を思い出して再体験する」ことだ。

様々な質問が出るがすべて否定される。「お前らのアホンダラな知性が邪魔なんだよ。見える瞬間がある。それを見ろ。そして経験しろ。」と言われる。

「でも経験はブロックの壁のようではないよ。一つ一つ思い出しても構成できないよ。」という人もいる。そうすると「お前が過去の記憶を変容させようとするから そういう考えがでるんだ。オレが言ってるのは見える瞬間経験しろだ。アホな知性はすべて捨てろ。」と言われる。

これを読んだ多くの人が思うであろう同じ疑問が質問される。
「でそれが出来たとして なんだというのです?」
「パラドックスだ。消えてしまうんだ。」それ以降なにがあるかは言わない。

抵抗したり自分の意見を言ったりするのは無駄と悟った受講者は各自試みる。あるものは泣き叫ぶ 喚く。様々だ。何人くらいが「経験の再体験」に成功するかは知らない。

受講を終えた人は言う。「いままでは見えていなかったことが見えるようになった」311が起こる。寄付をする。免罪符を買うにも近い。若いタレントが死去する。彼彼女に追悼を書き込む。憐憫の肥やしにしているだけだ。

「大作でなくていい」新聞で報道されるような大胆な寄付をしなくていい。
「オレには学がない。だがオレはプレマンだ。」アホンダラな知性はない。

「強烈。本当に強烈。この子らに一体どんな未来があるというのだ?」
これが最初の気づき。

問題の大根大元というのは大々的に報道されることに光に無意識に向かってしまうアメーバみたいでなくて 本当に身近なところにある。

朝開店前から寝巻き同然でパチスロ店に並んでいるオバハンの家庭が正常な機能をしているわけない。その尻拭いをするのは誰なんだ?

アクト オブ キリング //*  2015/06/21(日) 15:36:55
 「お前は神経症なんだよ 病院に掛かれよ。お前は話をして 医者は話を聞く。んで薬を処方される。おれも掛かったが楽になるぞ」

という話か出てくる。アンワルさんは気持ちは有難いんだけど なんだか釈然としないんだよな、って態度を取る。

いまの日本で精神科は大繁盛らしい。半日まって診察数秒、適当な薬をだされる。それだけだ。

アンワルさんは釈然としない。下の日記の続きになるし誤解を招く恐れもあるから書きにくいんだけど

前者の狂気、妬みを発端とした自覚のある狂気による蛮行、刑事事件でシリアルキラーと呼ばれる人たちは発作的に蛮行に及ぶ。多くの学者が研究したが動機自体が余りに馬鹿げている。本人的にはえらく大言壮語を言っているがようは「自分を認めなかった社会への復讐だ!相手は誰でも良かった」が大半でドラマも何もない。これは世界過去200年程を紐解いても殆ど同じ動機である。

ぼくはなにかにつけてこういう取り方をしなかった。「誰も自分を必要としないし気にもとめず認めてくれない」ってのは自分にとって大いに有利に感じたからだ。「ノーマークなんだから やりたいようにやれる」としか取らなかった。しかも定番的な方法ではなくオリジナルな方法を実験的にやりまくれる。失敗したって失うものもない。最高だ、くらいに感じた。

んま個人的な話はさておきまして、前者の狂気、妬みを発端とした蛮行は刑事事件史上世界最高は確か記録上77人だったと思う。二位が53人だったかな。三位 30人くらいはかなり多くいて 10人前後は今でも世界中で頻繁に起こっている。これらはいずれも余り語られない。「アホすぎてドラマチックじゃないから」だ。最善で最良な結果をもたらすかもしれないことを失敗を恐れずトライアンドエラーをすることもなく突発的。

あんまり例が人道的とは言えないし反社会的だが、ここの読者は識者が多く長文読解に慣れた人しか読むことはないと見込んであえて書く。アンワルさんが殺した人数は1000人である。しかも一片の濁りもない純粋さであからさまに「後者の狂気」だ。「天才」の部類に入るだろう。

指摘しているのを見たことがないのでぼくが書く。「アクト オブ キリング」は残酷描写を売りにした下衆な映画ではない。そういった描写が必要なときは あえて60年前くらいの露骨につくりものと分かる旧態を使う。

嘔吐する、といっても{これは大抵の人が経験あるだろうが}三段階だ。
まず「食べ物、中には殆ど原型のままのものも混じっているものと胃液」を吐く。次に胃液しか出るものがなくなる。次には胃液すら出なくなる。

この映画では三段階目しか出てこない。嘔吐物を描写してしまったらそこだけが浮いてしまうし そもそも下品だ。

アンワルさんは天才なんだろう。故にすべてにおいて無自覚である。神経科の受診を勧められても釈然としない。無自覚なんだが カンで分かっているところもある。「おい若いの」とも「ヘイ ボーイ」とも言わない。ちょっと砕けて「ジョッシュ」とも言わない。

最後は涙ながらに「ドクタージョシュアさん、でもぼくは。。」おそらくは親子以上に歳は離れているであろうに。

「アクト オブ キリング」は余りに様々な面があって掴みどころの難しい多面体ではなく殆ど球体になっている。アンワルさんが友人の提案に釈然としなかったのは すでに10年ベタで付き合う覚悟をもった主治医がいたからだ。

たしかにインドネシアの実態や変わらない政権を描いた映画でもあろうが一番太い根っこは本物のサイコセラピーだったのだ。

疑問は残る。なんで映画界においてもさして名のある存在でもないオッペンハイマー監督がこれほどのパートナーシップを 恐るべき人物と結ぶことができたのだろう?

異文化交流  2015/06/20(土) 09:40:55
 狂気と言われるものには二種類あると思う。一つに非常に一般的な狂気は妬みを発端とした狂気、もう一つに目的に対する行動が余りに理解不能レベルに単純で純粋な狂気。前者が一般的だが後者は個性と言い換えることも出来るだろうし発展型が天才と言われる人たちだと思う。

また前者の狂気は主観的で自ら「狂っている」実感を持っている。後者は客観的で傍目からは狂っているように見えるが本人に実感はない。本人的に普段通り当たり前の行動であって 恐らく他の人もそうであろうと考えているからだ。しかしまわりは「狂人」という。

「本物の個性とは無自覚である」らしい。だから「私の特徴はこうです!」ということ自体本物ではないのだ。{この理論で言えばね}

ぼくが言いたいのは狂気についてではない。「大義がやたら問われる」ことと同時に進行しているように感じるのは「異文化交流」だ。

マイケルジャクソン的中二病的「みんな兄弟 神の子さ!愛してるよ!」は幻想であり「結局異文化の交流は非常に難しく出来ないのではないか?もうなんとかしようとする努力自体諦めたほうがいい、簡潔にしたほうがいいのではないか?」という風潮を感じるのだ。

恐らくこれもWW3があるとすれば目的の一つに思える。

アクト オブ キリング /  2015/06/19(金) 14:04:44
 服については「5年8ヶ月くらいのやっすい実刑」とでも思って 地味な下積みを続けよう。いずれにしたって服飾のすべては実は華やかな部分などひとっつもないがね。

「アクト オブ キリング」は映画という範疇を自分の中では越えてしまって
「人生の何年か掛けても落としまえつけねばならない」課題になった。
あの映画のエンドクレジットは7割がたアノニマスである。さらっと撮っているように見えるが完成までに10年の歳月を要しているらしい。
ジョシュア オッペンハイマー監督の本当のメッセージを理解するのに相当の時間を掛ける価値はあるし そうしなければ申し訳ない。

そもそもあの映画は{字幕はないが}無料公開されていることからもハナっから営利を目的にしていない。ここ最近作られるハリウッド映画は ほぼすべてが「仲間のためって大義はどうよ?」ばかりだ。WW3の洗脳か。もういいよ。ぼくから言わせりゃ「オレが死ぬよりいい」だ。美談なぞ要らん。

「アクト オブ キリング」についてかんがえる余り 自分でも驚く失敗をしてしまう。いや失敗って範疇には入らないが。さっきいましがたも年に一度あるかどうか、小一時間は掛かる事務手続きを実は6月8日にしていたことを自分で忘れてしまっていて事務員に指摘されても覚えておらず 自分で書いた書類をみても思い出せなかった。

こういうことは現代では色々勘ぐられてもしょうがない。「本人確認」というのは現代では重要だが{不正防止のため} 本人と名乗る人物が複数回来のだからなあ。どうであれ「確実に殺されるがせめて家族に一本電話したい」ことすら許されなかった彼らの状況からすりゃ どうでもいいことだがね。

以下は個人的な感情と経験だが

10年ほど前になるが 知り合いのから{大学の助教授}「インドネシアの家具とか民芸品を販売するビジネスをやらないか?きみは目利きだからね。このビジネスは昔っからあるが成功した人がいない。理由は観光客向けばかり仕入れて奥の奥までいかないからなんだ。きみならやれるだろう」と言われた。

ぼくは 実はインドネシアがどんだけ危ない国か知識の片隅くらいはあったしデビー夫人がらみで日本とは割と近い印象のある国ではあったからね。でも当時でもプレマンの存在は知っていたので「こいつは おれをさりげなく殺させるつもりか?」くらいに勘ぐって断った。ただこいつは心底本物のバカなのでそこまで考えてなかったろうが。

「アクト オブ キリング」の「やらないんじゃくて やれないんです。」「そうだ!やったら皆殺しだ!」で吐いた。

何度も見ているうちに気が付いて不思議に思うところがある。

「いい服を買うために 金になるならどんなことでも平気でした」とアンワルさんは言う。何が必要だって脅して殺してでも奪ってきたろうに上質でカッコイイ服にだけはアンワルさんは一目置いていたわけだ。

こういうのは虚構ではよく出てくる。それは上等なワインだったり高級車だったり、どれほどのアウトサイダーでも一目置くものについてはちゃんと金出して儀礼を持って入手する。だが虚構の世界の鉄板パターンではあるのだがドキュメンタリーでは初めてみた。

もう一つポイントがあったがわすれちまった。「仲間のため?」「異文化交流?」 まだ未見だが「セデッド バレ」もそういう映画みたいだ。ただし
「アクト オブ キリング」とおなじく、強引な風潮に対するものだが。

いずれにしたってぼくは死なん。仲間のためだかなんだかオレだけは死なん。

アクト オブ キリング  2015/06/16(火) 14:36:39
 タイトルを「アクト オブ キリング」にしよう。ある評論家が「人智であの映画を超えることは不可能」といってたけど超える超えないというよりもっとぼくの思いは複雑で毎日悪夢を見る。映像体験なんていうレベルじゃない。おもしろいおもしろくないなんてレベルじゃない。

だれにも薦めることは出来ないし観るなとも言えない。

ただ机上の空論で「加害者の人権は守られるのに被害者の人権は踏みにじられる日本の法整備は如何なものか」なんていうインテリ諸氏には それはあくまで極東の島国の相対的な考えであって 世界レベルではないとは言いたい。
{アクト オブ キリングではこの描写が執拗で強烈でいたたまれない}

ぼくにとってなにより痛いのは どうにかギリッギリで感情移入できてしまうのがアンワルさんだからだ。氏は映画スターに憧れ いまもいいプロポーションを保ち身成も洒落ている。つか度が過ぎて洒落のめしている。些細なことにみえるかもしれないが 大方の人がある程度の年齢で体型身成なぞどうでもよくなってどんどん太ったり身体のあちこち自由が利かなくなるのが普通だとすれば些細にみえても大きな要素だし ぼくはそういう側面がすごくあるから。

ww**  2015/06/15(月) 00:22:42
 「死ぬか生きるか、いやほぼ確実に死ぬ、あるいは無茶苦茶人道に反した蛮行に人を駆り立てるために如何なる大義が必要なのか?」あるいは権力は大義を与えるべきなのか?

史実を紐解くと「大して必要じゃない」という恐ろしい現実がある。
日本で多く語られる戦争の大義の手記というのは殆どが超エリートによる達筆かつ美文であって普通の市井の人によるものではない。

下の日記の安穏族の続きはこうである。

軍隊に駆り出される少年たちに反逆の女の子が現れる。
「あなたたち、洗脳されているのが分からないの?あなたたち 自分がなにをしているか分かっているの?」と鬼の形相で訴える。女の子は見せしめに輪姦されてしまう。女の子は涙ながらにさきほどの男の子に目で救いを求める。男の子は暴行を止めさせようと分けいるが。。。輪姦に加わってしまう。そこに自我も良心の呵責もなく自動的。最後に軍隊の隊列に加わり行進する女の子。
「もうこわいものはありません。」が最後の言葉。

手塚先生は「傑作か愚作か ひとコマで決まる。」と弟子に言い続けたが石坂啓先生もひとコマで驚くような展開をするし この短篇は二度も三度も出てくる。ただし輪姦だの女の子の行進だのというのは物語を短く劇的にするためであり、わかりやすく言えば「過去の自分を断ち切り別人になるイニシエーション{儀式}」は輪姦でなくてもいいしイコンが女の子である必要もない。

また下の日記の続きになってしまうが「なんでこんな映画が存在しているのかワケがわからん」ものの一つに「アクト オブ キリング」。寓話、あるいは完全に演出された劇映画では「大量殺人鬼はただの爺さんで 命令に従っただけとブツブツ言うだけだった」みたいなものはあれど 知る限り当事者が

「私は祖国のために国からの要請を完全に全うした伝説的英雄。この栄誉を称えるためアメリカから私を伝記映画にすべく私に主演を望んできた。監督は詳細を知っているわけではないので私は主演だけでなく演出もすることになった。世界中よ!祖国よ!孫たちも私の偉業を見るがいい!」

アンワルさんは いい人でしょう。笑顔も可愛らしい。アンワルさんは こういう映画を作る予定で 概ね映画は予定通りに出来たのでしょう。「アクト オブ キリング」を観た方がどう思うかは別の問題ですが。

動画サイトにうpしてみた  2015/06/13(土) 11:48:11
 固い話が続いたので和みです。店員{仮名}さんと ツインV.
意外になんとかなっちゃうもんなんですね。


https://www.youtube.com/watch?v=3f_bvkVsD9s&feature=youtu.be

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