季節 さんの日記

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(無題)  2009/02/10(火) 23:12:10
  週刊新潮が赤報隊事件の犯人の告白なるものを連載しているが、当事者である朝日新聞は最初から事実と異なると言っているし、週刊文春によればそもそも島村という犯人と名乗る男が最初に朝日に「告白」した内容と根本的に大きな違いがあるのだから(そもそも朝日対しては阪神支局小尻記者を計画的に狙ったのだと言い、今回の告白では阪神支局を狙ったのは成り行きにすぎないというのだから何をかいわんや)新潮は連載をどう決着をつけるのか興味がある。たぶん次週号はほとんど目立たないような広告にして、本人身の危険を感じるとかで連載打ち切りじゃないか。

(無題)  2009/02/09(月) 22:21:23
  『東洋経済』の2/14号で慶応の小幡績さんが、オバマの財政拡張で経済危機は「深まる」と論じていた。さすがハーバード大学PhDだけあって、アメリカ流エコノミストの面目躍如である。今アメリカの経済学界では、財政拡大が景気回復には無効有害であると言う多数派と、財政拡張やるべしと言うクルーグマンら少数派との間で論争が繰り広げられている。1929年の大恐慌にしても、日本における常識とは違いアメリカではニューディール政策は有害無益であったとする考え方のほうが、なまじ経済学を勉強した人たちの間では多数派なのだ。かくも徹底的に公的経済の拡大を嫌うのは、いわばアメリカの精神とも言える。さて有害と言い切る小幡氏の説によれば財政赤字拡大が米国債とドルの暴落をもたらしてパニックに陥るというのだが・・・

(無題)  2009/02/06(金) 22:28:17
  このような不景気の中にあって、景気対策とはいかにあるべきか。思うに、景気対策とは第一に失業対策であるべきだろうと思う。政府は、不効率な経済システムを救済する必要はないが、人間は救済しなければならないだろうと思う。衰退する会社や産業を救済する必要は必ずしも無いが、そこからはき出された人には職を与えるべきだし、破産した人は免責しなくてはならない。経済は効率的であるべきであるが、遊休資源(ことに人的資源)がある場合は其れを吸収するよう財政拡大するのは正当化されると思う。政治も経済も人間のためにあるからである。
 赤字財政が将来の財政破綻やインフレ懸念につき心配するむきもあろうが、失業を吸収するレベルで輪転機をまわしても、さして強度のインフレは起きないのではないか?なぜなら不景気時には財は余っているわけだし、また日銀の保持する国債は将来償還を通じてむしろマネー削減につながるからである。インフレになるかどうかは、日銀の資産膨張とは直接の関係はなく、むしろ国家の徴税能力に依存するのではなかろうか。発展途上国はインフレの傾向が強いが、これはこれらの国々が一般に徴税能力が十分でなく、シニョレッジを財源とする国家であるからだろう。

(無題)  2009/02/05(木) 23:28:27
  インフレの経済効果を考える。インフレとは通貨の価値保存機能を低下させることであるから、インフレ時には、他の保存の利く商品に価値保存機能を持たせる役目も負わせるようになるであろう。すなわち買いだめである。極限時には一部の商品が本当に通貨の役割を果たすようになるであろう。従ってインフレは確かにモノに対する需要を喚起する働きを持つ。しかしインフレが収束すれば、再び貨幣の価値保存機能が回復するから、買いだめされたり、通貨の役割を担った商品は、再び商品としての本来の消費にむかうであろう。となるとその時点では、買いだめした分は新しい需要が減ることになる。このように、インフレによる需要の増加は、本質的には将来の需要の「先食い」のようなものと思われる。

(無題)  2009/02/04(水) 23:21:48
  ドル紙幣は過半数がアメリカ国外で流通していると言われるが、そのドル紙幣の発券高は日本円にして80兆円ほどで、日銀券発券高とそう変わりはない。と言うことは、経済の規模に比べ日銀券の流通量はずいぶん多いと言うことだ。世界的に見ても、日銀は世界の中央銀行に比べGDPとの比較において相対的規模は大きいようである。特に90年代後半から小泉政権時代まで、低金利政策の中で膨張をとげた。いまFRBはここ数ヶ月でCP買い上げ貸し出し増加で資産規模を2倍にふくらましている。それでやっと日銀の2倍弱の規模になったかというところである。

(無題)  2009/02/03(火) 22:44:30
  自民党内では政府紙幣導入が議論となっている。実現するとは思えないが、そもそも今の日銀の資産構成を見るとおおよそ6割が国債であるから、今の日銀券自体が60%ほどは政府紙幣の性格を持っているとも言えなくもない。要するに国債を買い付けてマネーを放出すれば新規に政府紙幣を発行したこととそんなに違いはないのだろう。
 数日前国債はいつ誰の負担になるのかを考えたが、日銀が持つ国債は償還時にマネーが日銀に戻ってくるのであるから、それはマネーの償却を意味する。従って、日銀引き受け国債は、実際に償還財源が税でまかなわれたとしても、実は国民から財を吸い上げる働きを持たず、ただマネーの削減となる。もっとも配当は別であるが、これは諸費用、出資証券への配当に当てられた残りはすべて国庫納付金となる。
 政府紙幣の場合はどうか。まさかいつまでも政府紙幣を流通させるわけにもいかぬし、すべてを硬貨にすることもできそうにないから、いずれは日銀券に交換せねばならぬであろうが、その財源は増税となる。ん? となると単なるバラマキこそが将来の負担となる?

(無題)  2009/02/02(月) 22:07:16
  官需の拡大が民需の縮小を招いてしまうことをクラウディングアウトという。かつてケインズが批判した「財政拡張は同額の民間支出の縮小を招くから効果がない」という「大蔵省見解」にその原型がある。「売れ残り」というものがない新古典派経済学の世界では、これが正しい。MF理論も、一見ケインズ理論の拡張のような形をとりながら、事実上新古典派的世界を仮定しているように思える。アメリカの経済学では、この効果を非常に強調して、財政拡張に懐疑的な論を立てる者が多い。しかしこれは生産要素がめいいっぱい使われているときは財政政策は効果がないと言うだけであって、そもそもそんな好景気にことさら財政拡張が必要とされることはないのだから、これは為にする議論に見える。
 ところで一方、そのような立場の者であっても、効果のある「財政政策」があるというのだからまぎらわしい。それは、主として減税のことである。高橋洋一氏のいう財政政策も「減税」であり、十分に金融緩和をしたときには効果があるという。しかしおなじ「財政政策」という言葉を使っても、財政拡張と減税では本質的に違う。減税とは要するに民にわたるマネーを増やすことであり、むしろ金融政策とやっていることは一緒である。つまりこの意味で「財政政策」の言葉を使うことは誤解を招くものであり、より正しくは「金融政策一本槍」と同義である。すでにクルーグマンは前言を事実上翻しこの立場から離れた。ただマンキューをはじめアメリカの学者は未だこの立場にいる人が多いようである。そして不況においては往々にして流動性選好が極度に高まることを考えれば、この政策は財政拡張ほどの効果を持たないように思われる。
 どうもアメリカの主流派経済学においては、前記の為にする議論による財政拡張「無効」という信念がすり込まれている上に、言葉のレトリックさえ使っているようであり、割り引いて見なければいけない面があるように感じられる。

(無題)  2009/01/30(金) 23:05:46
  国債の増発は後世の負担になるという話がある。しかし果たして国債は後の世代に負担をかけることなのだろうか?此についてはいろいろ説があるようであり、自分もつらつら考えてみるに、たぶん国債は負担になるとしたらその世代であって、後の時代に負担が転移するのではないというのが正しいと思う。なぜなら国債を発行し市中消化すれば、それはその時点で民から官への資源吸い上げとなり、実質的に増税と同じである。もちろん後で国債の利払い・償還のために真の増税をしなければならないが、国債を持っているひとは配当と償還をうけるから、国債を持っていない人から持っている人に富を移転させるだけで、国民全体ではプラマイゼロである。よって後世に負担が移転しているわけではない。
 ここで国債が遊休資源の吸い上げに使われ、その国債が日銀引き受けならどうなるか。遊休資源であるから国民経済の負担は実質的に増えない。後の時代には日銀に配当償還しなければならないが、日銀は余剰金を国庫納付しなければならないので、相互に打ち消し合う。よって後世経済にも全く中立となる。
 冷静に考えてみるとこれは当然のことである。たとえば戦争経済は究極の財政拡張であり、莫大な国債が糸目をつけず発行されたが、その結果厚生が下がるのは国家に資源を吸い上げられたその世代であって、平和の時代に負担が転移したわけではない。もっとも国債自体はインフレで紙くずになったが。

(無題)  2009/01/25(日) 20:10:56
  マンデルフレミング理論(以下MF)は、ノーベル経済学賞に輝いた学説ではあるが、調べれば調べるほど、一有権者としては疑問を感じる学説である。最近はあのクルーグマンですら財政政策を口走っている。ということは、主流派経済学者のクルーグマンですら、MFを本気で信じてはいなかったと言うことである。高橋洋一氏はアメリカ留学の時クルーグマンとインフレターゲット政策について意気投合し、日本の政界官界は世界標準の経済学が理解できないと嘆いたが、今やはしごをはずされた気分だろう。
 そもそもMFでは、財政政策は金利上昇をもたらすといっているが、この辺からして私らも昔ちょっと教わったケインズ政策の想定とは違うように思える。古典的ケインズ理論によれば、失業や過剰設備があるとき財政出動するのであり、その源資は税ではなく国債であるべきである。国債であっても其れを市中消化させれば増税と同じ事であるから、むろん買いオペ併用、すなわち輪転機を回す政策であるべきであり、そのときも過剰設備がある限りにおいてインフレは起きず金利も上昇しないというのがその趣旨である。以上の想定において固定相場制か変動相場制かは関係ないはずである。
 高橋氏は90年代に財政政策が効果をもたらさなかったのはMFが正しい証拠であると言うが、金利は一貫して下がっているし、円相場にしても95年にピークを打って以後円安傾向であるから、なんらMFを立証するものではないと思う。金利と円相場の関係も実際の所単純ではない。それどころか財政赤字は通貨安をもたらすというMFとはさかさまの経験的事実さえあり(たぶん財政政策は財政規律の弛緩→インフレ予想という連想が働くのだろう)MFで通貨投機をすると失敗しそうである。
 まあもっともケインズ理論において過剰設備がある限りにおいて全然金利に影響がないのかというと、そうではないと思うが、其れは別の機会に論じたい。

(無題)  2009/01/25(日) 11:37:12
  漢字検定を主催している日本漢字能力検定協会が、儲けすぎにより文部科学省から指導を受けた。たしかに資格・検定業界は、官の認定を受けて定着すればおいしい事この上ない。だいたい、こんなにも各種資格や検定が多いのは、世界でも日本が一番ではないか。そのいっぽうで、大学院学位(ことに文系のそれ)が信用されていないのが、日本の特徴である。事務系ホワイトカラーが箔をつけようと思うなら、修士号(いわゆる専門職学位を含む)を取得するのではなく、税理士試験の簿財とか、中小企業診断士、社会保険労務士をめざすほうが一般的だし、信用もされる。比較の難しい学位を取得するより、資格試験のような「客観性」にとんだテストをクリアする方が、日本人の科挙的価値観にマッチするのであろう。
 大学の序列にしてからが、入試難易度が唯一の尺度であり、大学の中身など大して関心がないのは周知の事実である。大学院学位がいまいち信用されないのは、たぶん大学院入試が学部入試にくらべ客観性がないためだろう。私立大学ではAO入試や推薦入試があまりにも多くなると文科省の指導が入るが、そもそも外国では大学入試はすべてAO入試や推薦入試である(笑)したがってこんな事を指導するのは全くおかしいのであるが、一般人の間で疑問の声は出ない。要するに推薦入試ごときは信用すべき序列を破壊する行為であると日本人は思っているのだろう。
 イギリス人は日本の大学入試を「壮大なクイズ選手権」と評したが、クイズ的、科挙的価値観はことほどさように日本の全社会を覆っている。このような社会では、おつむのよさ=テストに合格することになってしまうが、所詮地頭を測定する問題を作るのは難しく、多くは「知識の量」で合否が決まるのが現実である。まして競争試験であるから、主たる競争はテスト前数ヶ月にいかに知識を一時的にため込むかで決まってしまうことが多い。合格してしまえば不要な知識はたちまちのうちに抜け落ちてしまう。考えてみれば実に無駄なことであるが、日本国は全社会をあげてこのような価値観に疑問を持たない。アインシュタインは「本を読めばわかることは、本を読めばよい」といったが、日本社会ではアインシュタインは知的エリートにはなれなかっただろう。
 問題なのは、今や日本は全世界と競争している点である。日本のこの価値観が、世界的に見て有利なのか不利なのかはわからぬが、少数派であろう事は確かである。中韓はやや日本に近いが、一方で学位を重んじる社会でもあり、西洋的価値観もかなり受け入れているようである。議院内閣制・二院制は日本の弱点だと思うが、これに加え科挙的価値観もまた弱点となるならば、日本人に染みついているだけに、この克服は容易ではないと思われる。

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